小説推理新人賞の授賞式の日、その作品から、眉間に縦皺が刻まれているような神経質な女性を想像していたわたしは、「わたうさちゃん」のようなほわんとした可愛らしい笑顔の湊さんに、正直戸惑いました。初対面から話は弾み、その頃、すっかり「聖職者」の世界に取り込まれていたわたしは、つい「犯人のAくんみたいな子供って、どういう両親に育てられると、ああなっちゃうの?」とか「結局、いま悠子先生は、どこにいるの?」と、リアルな人の消息を尋ねるように聞いてしまいました。
すると、湊さんは「Aくんのお母さんは、すっごく優秀な科学者だったんだけどね、Aくんが子供の頃に出ていっちゃったの」とか、「Bくんのママは息子を溺愛しているバカ親なんです」などと、見てきたようにあっさり答えるのです。
わたしは「聖職者」を読んで、知りたいことがたくさんありました。Aくんのこと、Bくんのこと、悠子先生が去ったあとのクラスのこと。小説として読みたいというより、純粋に、彼らの生い立ちと、その後を知りたかった。
それに応えるように、湊さんは、次から次へとそれらをモチーフに作品を書いてくれました。しかも「自分がBくんそのものになっちゃったから、一刻も早くパソコンに向かって告白しないと、アタマがパンクしちゃいそうで大変でした」と、これまたおっとり微笑むのです。
虚構の世界に入り込める人、かといって視野狭窄ではなく、俯瞰で作品を眺めることができる人。ああ、わたしはすごい書き手に出会っちゃったんだと、第六章まで通して読んだとき、初めてそう思いました。
決して読者に親切な書き方はしていません。書き飛ばしているのかと思いきや、それ自体が伏線になっていて、まるでこちらの読む能力を試されているような気にもなりました。
久々に、想像力を最大限に駆使して読み解く快楽を体験できたような気がします。
この物語は、愉快なお話ではないけれど、読後感は爽快でした。だって、これ以外の決着の付け方は、他にないと思いませんか?
担当編集者 平野優佳
(双葉社 原文網址:http://www.futabasha.co.jp/introduction/2008/kokuhaku/ )
在小說推理新人獎頒獎日,我從作品中想像著湊小姐是在眉間有著皺紋神經質般的女性。但是湊小姐本人卻是像「小棉兔」一樣可愛溫和的笑著,這讓我感到困惑。從初面對的談話開始,在那時我就完全的陷入「神職者」的世界裡,不知不覺的會想「像犯人A一樣的小孩,被這樣的雙親養育就會變成這樣嗎?」這樣「最後,悠子老師現在又在哪裡呢?」就像他們真的活在世界上的樣子,問著他們的消息。
「雖然A同學的媽媽是很厲害的科學家,可是在A同學小時候就離開家了。」、「B同學的媽媽是溺愛兒子的笨蛋母親。」湊小姐就像是一路看過來似的很乾脆的一一回答。
我讀著「神職者」後產生了許多問題。A同學的事、B同學的事、悠子老師離開後班上的事。比起說在看小說,更純粹的想知道他們的成長和之後的生活。
就像是回答我一樣,湊小姐以不同的立場不同的角度為主線寫出作品來。而且還平靜的微笑著「因為我已經變成B同學了,不早點向電腦告白的話腦袋就像要爆炸一樣非常辛苦。」
能容入虛構世界的人,並不是視野狹窄,而是能俯瞰作品的人。讀到第六章時第一次有,啊啊,我遇見了不得了的作家了。的念頭。
這決不是善待讀者的寫法。以為是跳躍式的寫法,卻變成內容的伏筆。感覺就像是在測試讀者的閱讀能力一樣。
總覺得,要以最大的限度,用很久沒用的想像力才能發現讀書的樂趣。
雖然這個故事不是很愉快的故事,讀後感卻很爽快。因為除了這個結論沒有其他的吧?
擔當編集者 平野優佳
翻的不好請多多指教。
呃…有錯誤的話也請指正。
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